小樽の名所旧跡
★青山別邸(旧青山別邸)
小樽市祝津3丁目63番地 (0134)24-0024
木造2階建 大正12年(1923)邸宅として建築。昭和60年(1985)7月23日
小樽市指定
■アクセス
<バス>JR小樽駅から、中央バス「小樽水族館」行きに乗車約15分。「祝津3丁目」で下車徒歩5分
<クルマ> JR小樽駅から約15分。札樽自動車道終点出口より祝津方面へ10分

激しく厳しい北国に堂々たる雄姿を見せている旧青山別邸。
小樽貴賓館の「和風レストラン 花かずら」で使われている食材を中心と したお土産は、北海道の中でも限られた地域でしか味わえない大変珍しいものが沢山あります。
旧青山家は祝津の網元で、明治、大正と、鰊漁で巨万の富を築き上げ、生活の場だけで無く、客をもてなし、自らも、楽しむ為に建築されました。
この建物は大正6年(1917)から、6年半以上の歳月をかけて完成しました。
当時、建築にあたり、山形県酒田市から50数名の宮大工を呼び寄せ、建築、その材料も山形県から北前船で運ばれた、ケヤキ、ヒノキ、スギ、等の材料が使われております。
当時のお金で、約31万円かかっています。米1表(60k)が2円50銭、ヤン衆の手間賃が3ヶ月働いて80円の時代です。
又、同年代に建てられた、伊勢丹デパートが約50万円ですから青山別邸の建築費がいかに莫大なものか分かると思います。
日本画の島崎柳塢、書の中村不折ら著名人の画家、書家の襖絵、屏風などの書画、骨董品などが当時のまま展示されております。
又、花や鳥等が掘り込まれた紫壇や黒檀を、惜しみなく使った欄間、クルミと象牙の飾り棚がいたるところに置かれております。
約1、500坪(4、950u)の敷地に堂々と建つのは、雪国では珍しい瓦葺きの重ね屋根で、軒下の角には組み木と樽木を結ぶ「ひよどり線」。家の中には6畳から15畳の部屋が18室、トイレ、風呂、廊下等が有り、まさに金に糸目を付けない豪邸ぶりです。
美的センスを持つ、3代目の愛娘、青山政恵さんが17歳の時、山形県酒田市の当時、日本一と言われた本間邸に魅せられ、それが旧青山邸の発端になりました。
★旧日本郵船(株)小樽支店
(国指定重要文化財) 小樽市色内3丁目7番8号 (0134)22-3316
石造2階建 明治37年(1904)に着工、同年39年(1906)10月社屋として建築
■アクセス
JR小樽駅より徒歩約20分
<バス>小樽駅前より中央バス2.3系統、錦町停留所下車徒歩3分

当時、樺太国境会議がこの部屋で開かれ、隣の部屋で祝杯が行われた歴史ある建造物です
旧日本郵船は、近世ヨーロッパ、ルネッサンス様式の石造り2階建の建築で設計者は工学部大学(現東京大学工学部)第1期生でもある佐立七次郎氏施工は地元の大工棟梁、山口岩吉で、建築費は当時の金額で6万円でした。
明治36(1903)年にそれまでの社屋が大火に見舞われた為に新社屋を建築したものと思われます。
その頃の小樽は北海道開拓史の拠点都市として商業、港湾機能を充実し初め、船舶、海運、倉庫業等を営む人々は競って船が入れる入間を建設、石造り倉庫を建設し明治後期から一流建築家達が、当時の最先端技術を駆使し、洋式建造物を完成させ、多くの代表作品を残し、旧日本郵船も、その当時の建造物です。
竣工後、間もない明治39年(1906)11月、ポーツマス条約に基づく日本と当時の樺太国境会議が2階の会議室で開かれ、その会議終了後には隣に有ります、貴賓室で祝杯が行われた歴史的遺構です。
昭和30(1955)年小樽市が、この建物を旧日本郵船から譲り受けたのに端を発し翌31年(1956)より小樽市博物館として利用して来ましたが、同年44年(1969)3月に明治後期、ヨーロッパ式建築の代表的建造物として国の重要文化財に指定されました。
しかし年々老朽化が目立った為に昭和59年(1984)10月頃から修復工事を行い約2年9ヶ月の歳月をかけ、昭和62年(1987)、竣工し、商都小樽を代表する明治後期の、優れた建造物が、文化遺産として甦り、修復工事等で得られた、資料等を展示しています。
★小樽 にしん御殿(北海道指定有形文化財)
小樽市祝津3丁目228番地 (0134)22-1038
■ アクセス
<バス>JR小樽駅から中央バスおたる水族館行きで25分、終点下車、徒歩5分
北国の風雪に耐え、ニシンは来ないかと待っているかのようなニシン御殿。その内部は是非一見の価値あり
この、建物は,昭和33年(1958)に北海道炭鉱汽船(株)が積丹町泊村に有った魚場建築物を解体し当地に移築後,小樽市に寄贈されたものです。昭和35年(1960)5月に「北海道有形文化財にしん魚場建築」として北海道の民家としては初めて文化財に指定された建築物です。
このにしん御殿には、鰊漁や鰊加工に使われた道具類や鰊番屋で生活していた人々の生活用具の写真等を豊富に展示しております。
この建物の由来は、積丹半島を中心に日本海沿岸地域で、当時の鰊漁全盛期の頃「網を一起こし、千両万両と言われた、明治、大正時代」に数多くの豪華な鰊漁舎が建築され、この建物はその中の元屋の一つで泊村の鰊網元田中福松氏が明治24(1891)年から約7年かけ、同年30(1897)年に竣工し、平成9年(1997)に建築100周年を迎えた建造物です。
現存する、建造物の中では大規模であり、明治時代の原型をとどめており、華やかだった当時の面影を偲ぶ事が出来る貴重な鰊魚場の建造物でしょう。
★小樽
海猫屋
小樽市色内2丁目2番14号 (0134)32-2914
■アクセス
JR函館本線小樽駅から徒歩10分

外観?で判断出来ないほど料理は美味しい。海猫屋の主人、増山さんは言う。
「感性のない料理は、料理じゃなくて、ただの食い物」
そう言うだけのことは有り、是非一度ご賞味する事をお勧めします。地元の人もよく出入りするちょっとした隠れた穴場かも知れません。
この建築物は小林多喜二の「不在地主」のモデル旧磯野商店が明治39年(1907)に建てた倉庫です。
大正2年(1913)、海陸物産商 磯野 進氏(磯野商店社長)は6代目小樽商工会議所の会頭に就任。
(商力、力量には抜群だった為に磯野氏への期待が非常に強かった)、と言われておりました。
大正14年(1925)8月に磯野氏は北海道会議所連合会のロシア視察団の団長を務め1ヶ月間、極東ロシアを視察しました。帰国後の10月に東京の貴族会館にて革命後のロシアについて講演しましたが、ロシアの共産主義に対し「我が国の共産、社会主義はタダで物を持っていく考えだ」と激しく演説を行いました。
磯野氏が北富良野に所有していた牧場、農場を小作争議の指導者達に返したと言われています。
小林多喜二はこれをモデルに「不在地主」を書いたと言われております
★小樽
銀鱗荘
小樽市桜1丁目1番 (0134)54−7010
■アクセス
JR函館本線小樽築港駅より車4分。札樽自動車道朝里ICより8分

宮大工が建築しただけあって伝統的な建物、露天風呂からは石狩湾が一望出来るので最良の気分間違いなし、一度は訪れて見たいところです。
明治33年(1900)にニシン漁が盛んだ頃の余市の網元、猪俣家が建築しました。網元の力を象徴している建造物です。
昭和13(1938)年に余市から現在の平磯岬に移転されたもので、屋上には魚況を眺める事が出来る平家建で純和風的で優美であり小樽市内を一望出来、又その夜景には心が洗われる様な価値が有り、さすがは道内三大夜景の一つで、千釣の価値があります。
又、各種宴会、宿泊、露天風呂の後に新鮮な魚介類を使った郷土料理には人気があります
★秘境オタモイ海岸
■アクセス
JR小樽駅より中央バス幸、オタモイ行きで15〜20分、オタモイ経由はオタモイ団地下車、 幸経由はオタモイ交番前で下車、約1,5k
徒歩20分。
※・オタモイ海岸までは脚力に自信ない方はレンタカー、タクシーをお勧めします。
尚、ご自分で運転される方は急カーブの連続ですので、安全運転で良い旅を
かってオタモイ海岸は一大遊園地でした。
龍宮閣と奥には弁天閣。今も龍宮閣の跡地が残る現在のオタモイ海岸は多くの人を魅了しています。
オタモイ海岸は秘境、絶景と古くから言われた、北海道の秘境の一つです。
昭和の初め、この海岸は道内でも屈指の景勝地と言われました。日本海の荒波に削り取られた奇岩の数々や人を寄せつけない連なる絶壁、長く厳しい北国の風雪によって作り上げられた大自然の芸術は訪れる人々を魅了します。
昭和8年(1933)小樽市内で割烹店を経営していた加藤秋太郎氏が莫大な資金で「龍宮閣」を建設しました。
建設場所が鋭い断崖絶壁の為、資材の陸路運搬が不可能で、海路からの搬入になり、完成した龍宮閣は京都の清水寺の舞台と匹敵する程で、ここから見る夕日は日本一美しいと言われました。
特に夏には、この龍宮閣の眼下の海を眺め、涼味を誘い人気がありました。
同10年(1935)代の最盛期には弁天閣、唐門、遊園地等が完成し、北海道の一大観光地になりましたが、同年26年(1951)、龍宮閣は失火により惜しくも焼失してしまいました。
しかしその大自然は、損なわれる事無く、むしろ往時の姿に戻り、一段と秘境感を感じさせております。
小樽に残る伝説には、お地蔵様にまつわるものが幾つか有りますが、この秘境オタモイ海岸にもオタモイ地蔵、別名、子宝地蔵とも言われ子宝に恵まれない御夫婦に今でも根強い人気があります。
★小樽
金融資料館(旧日本銀行)
小樽市色内1丁目11番16号 (0134)21-1111
■アクセス
JR函館本線小樽駅から徒歩10分
堂々たるウォール街のシンボルは今も健在、ライトアップされる旧日銀。
現在は金融資料館として一般公開しており、1億円のレプリカも有るので是非一度、億万長者の気分を?
色内1丁目11番16号 煉2階建 明治45年(1912)に銀行として建築される。
小樽は大正末期から昭和初期の戦前まで、海運 銀行 商社 大店舗などが、軒を競う程の一大商業地域として道内髄一の規模を誇り、世界の商況を繁栄し、活発な取引が行われた事から「北のウォール街」と呼ばれるようになりました。
北のウォール街のシンボルと言えば、今も昔も、旧日本銀行でしょう。
小樽の繁栄時の旧日本銀行も、廃止の話しが持ち上がり、陳情が繰り返され平成15年(2003)に金融資料館として、堂々たる、昔の面影を残しています。
この旧日本銀行の、設計者は現在の東京大学工学部の第1期生でも有り、東京駅を設計した、辰野金吾氏です。
この旧日本銀行が北海道に出来たのは明治26年(1893)、札幌と函館に、出張所、小樽には派出所が出来ました。現在の旧日本銀行の所には裁判所が建っており、
当初は小樽市稲穂地区にあり、その後、小樽経済の発展に伴い明治30年(1897)には出張所、同年39年(1906)に支店に格上げされました。
この頃、経済都市としての勢力は完全に函館と小樽が逆転した事を良く示しております。
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